書評: 「おカネの教室」ができるまで: 兼業作家のデビュー奮闘記

以前書評で紹介した おカネの教室 僕らがおかしなクラブで学んだ秘密 という本がありましたが、こちらはその裏で著者がどのように感じ、考えながらこの本の出版に至ったのかという流れを振り返った本です。

オススメ対象者

まずこの本のオススメ対象者ですが、私自身を含め

  • 文章を書くことを職業としていないが、不特定多数の読み手がいる文章を書く人

に対しては、何らかの気付きであったり、共感がある本だと思いました。

職業作家でない著者がなぜ物語を書き始め、そしてそれがどのように商業商品へと変わっていくのかを知ることは、同じように文章を書くことを職業としない私たちにとって、「何気なく書いている文章」と「売り物としての文章」の違いを知ることに役立つと思いました。

とはいえ、本来がそういったことを伝える本であるわけではないので、あくまでおカネの教室ファンに向けた追加コンテンツですね。

「おカネの教室」ができるまで: 兼業作家のデビュー奮闘記
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概要

著者の高井さんは記者歴20年以上のベテランであり、記者ということから文章を書くことを職業にしている面があります。

そうした高井さんであるため、おカネの教室を書き上げるまでにさして苦労はなかったのかなと思っていましたが、やはり色々な苦労があったようで、そうしたドキドキやワクワク、そして発見と落胆など、出版までの過程における率直な思いがこの本で綴られています。

そうした起伏とともに、印象に残った箇所を振り返ってみます。

まぁいいか、もう自分で書くか

この本ではまず、「おカネの教室」が生まれるきっかけとなったエピソードではじまります。

ここのくだりは特別付録でもあるインタビューでも出てきますが、

初めは「なにか良い本はないかな」と探したんです。学習系の漫画みたいなヤツとか。でも、ひとことで言うと、どれも物足りない。みんな、どこか「上から目線」で、中身も教科書的。「お金の基本的な役割は価値の交換・尺度・貯蔵の3つです」とかね。これではお腹にドスンとこないし、娘は絶対に読まないな、と思ったんです。『金持ち父さん貧乏父さん』みたいな柔らかい読み物も探したけど子供向けは良いものがない。それで、まぁいいか、もう自分で書くか、となって。

特別付録 高井浩章インタビュー「良い本がない…もう自分で書くかって」 より

と語られています。
こうしたくだりは「おカネの教室」のあとがきでも語られていましたし、子供向けに良い本がないというのはよくわかるので、そうだなと、率直に受け止めることができました。
要するに、「娘のために書いた本である」というスタート地点が頭の中にあったわけです。

しかし今回この本を読んで個人的に興味深く思ったのが、この後にこう続くことです。

執筆は自分の楽しみでもあった。普段の仕事とは違ったスタイルで文章が書けるからだ。
日本の新聞は「笑い」を排除した精神と文章作法で作られる。欧米紙がユーモアを(時に鼻につくほど)誇るのとは対照的だ。日本には真面目さを知的活動の模範とする妙な「伝統」があり、一歩、欧米ではユーモアセンスのない人間は知性に欠けるとみなされる。

Ⅰ-1. 「もう、自分で書いちゃおう」 より

私は普段、笑ってばかりいる人間だ。仕事中ですらケラケラ笑っていることが多い。
しかし、記事を書く際には、新聞の文体に合わせて「笑い」は封印する。新聞記事には、物語を書くときのような想像力の出番もない。
「おカネの教室」の軽い文体は、私が雑文を書く際の本来のスタイルに近い。家庭内連載は、本性を解放する絶好の場だった。「娘のために」は、多めに見積もっても執筆の動機の5割程度だっただろうか。

Ⅰ-1. 「もう、自分で書いちゃおう」 より

日本紙と欧米紙のスタンスの違いはそういうものだと思っていたし、さして意識することもなかったのですが、そうした日本紙の中にいる高井さんが「楽しみ」だったと評していたことは、なんだかとても新鮮に感じました。

この部分に興味を惹かれ、この「できるまで本」の中で語られる、高井さんの喜怒哀楽そのものに触れるたび、なんだか読んでいて嬉しく感じたことを覚えています。
淡々と物語を紡いだわけではなく、時には苦しんで、しかしそれを楽しみにして文章を書き連ねる姿を思うと、新聞記者という笑いを排除した仕事とのギャップでより高井さんの魅力が際立つように思いました。

長期休載

おカネの教室の執筆は2010年に始まり、2016年の完結まで7年にわたったようです。しかし、そのうちの2014年と2015年は手付かずで、長期休載状態にあったことが語られています。

この時期のことについて、

この連載ペースは、綺麗に本業とリンクしている。
2012年末に安倍政権が誕生。株式や債券などマーケット報道チームの責任者(キャップ)だった私は、文字通り、忙殺状態に陥った。アベノミクス相場の到来だ。キャップ業は2年にわたり、この間、執筆ペースは大きく落ちた。

Ⅰ-5. 長期休載は「死の接吻」 より

ビャッコさんの悩みはどうなるのだろう。物語はどんな結末を迎えるのだろう。
私自身、先は気になるし、彼らには催促されるし…でも、仕事がそこそこ忙しいのもあり、「苦役」に向かう気が起きない。

Ⅰ-5. 長期休載は「死の接吻」 より

と振り返られています。
安倍政権誕生という紛れもない自分と同じ世界で生きていたことがなんだか新鮮に感じたことと、そんな忙殺状態にあった中で、「気になる、けど書けない」という状態で、執筆を「苦役」と表現していることがとても重く感じられました。

私もこうしてブログを好きで書いていますが、いつか仕事や私生活で忙しくなるときがやってきて、このブログのことを「苦役」と感じることがあるのかもしれません。

ただ、そうはいってもこれが本業じゃない人にとってのモノ書きなんだなということで、必要以上に気張ったり、抗ったりする必要はないのかなと感じました。その時がきたら、その時やるべきことをこなし、然るべき時に再び物語が動き出すのを気長に待ちたいと思います。

あ、これ、本になるかも

2年の救済を挟みつつ、2016年でついに物語が完結します。2016年は21章から32章という全体の1/3を一気に書き上げて完結へと向かっていますが、この中で高井さんは「あ、これ、本になるかも」という感覚を得ていたようです。

誇張ではなく、3人の会話の中から突然、「ピケティの不等式」が飛び出してきたのだ。
もちろん「21世紀の資本」を読んでいたし、長年関心を持ってきた格差問題は、どこかで触れたいと思っていた。
しかし、こんな形でこの上ないほど自然な形でピケティとストーリーがつながるとは、まったく予想していなかった。
書いていて、「カイシュウ先生、やるな!」と感心するとともに、ふと、「あ、これ、本になるかも」という思いが浮かんだ。内輪ネタ満載の家庭内連載に、初めて将来の出版の可能性を感じた瞬間だった。

Ⅰ-7. ついに完結 より

この「3人の会話の中から突然飛び出す」ということについては、少し前にキング方式として紹介されています。これはアメリカの小説家スティーブン・キングが述べていた、小説に必要な3要素についてのくだりです。

  1. 物語を一歩ずつ進める叙述
  2. リアリティを保つ描写
  3. 登場人物に生命を吹き込む会話

この3要素によって小説が成り立ち、その上では事前に用意されたストーリーすら不要とのことです。

高井さんもこのキング方式に則り、おカネの教室に登場する人物を丁寧に描写していくようにしていたようですが、その結果、著者本人すら驚くような形でどうにか出したいと思っていた格差問題がピケティの不等式とともに飛び出してきたということです。

確かに私もなんとなく記事を書き始めて、書き終わりまでに思いもよらぬトピックに至ることもありますが、ここまで衝撃的な感覚を受けたことはありません。
ブログ記事という中でそういう感覚と出会うのは難しいのかもしれませんが、私もいつかこうした「あ、これ、本になるかも」を味わってみたいなと思いました。

寝かせて、削る

さて、ここからは家庭内連載を超えて「商品にしていく」ところに入っていきます。

家庭内連載であるためにクオリティをそこまで強く意識していなかったところ、「本になるかも」の感覚も手伝って、「せっかくだから友人や知人にばらまこう」と高井さんは思い立ちます。
そこで、粗削りな家庭内連載版を、いわば友人・知人版へと昇華される作業がはじまります。

しかし、そう思い立ってから、高井さんはあえて1ヶ月間手を付けず、寝かせることを選択しています。
こちらも先のキング方式の1つとして、「寝かせて、削る」ことを実行していったようです。

はじめて経験するものは、六週間ぶりに自分の原稿を読むことに不思議な感慨を覚えるだろう。
(中略)
「自分と瓜ふたつの他人が書いた原稿を読んでいるような気がするに違いない。それでいい。それこそが時間を置いた理由なのだ。いつだって、自分が愛している者より、他人が愛しているものを切り捨てるほうが気が楽だ。(後略)」

スティーブン・キング 書くことについて より

この箇所を見たとき、正直なところ少し恥ずかしい気持ちになりました。
この「寝かせて、削る」という行為が文章のクオリティを上げるということは、小さいながらも、とても理解できます。
時間をかけ、考えて書いたはずの文章であっても、軽微なtypoを含めて、やはり意味的にもピンとこない箇所があったりするからです。文章の書きなおし程度であればまだかわいいほうで、時には段落をバッサリと落とし、なんだかもったいない気持ちになることもあります。

しかしそういった感覚が理解できていても、記事をカタカタと夜中に書き上げると、その書き上げた嬉しいテンションのまま、つい夜中のうちに公開ボタンを押してしまうのです。
もちろん、直そうと思えばあとからでもすぐ直せるし、時間をかけて書いたものを一早く誰かに見てもらいたいという思いが先行してのことだとは理解しているものの、やはりこのくだりを見ると自分の幼稚な行いが少し恥ずかしくなりました笑

電子書籍の衝撃

友人・知人版へと昇華したおカネの教室は、周囲から大きな反響を受け、「本にしたら絶対売れる!」などとも言われていたようです。

しかし、じゃあ本になるかというと、「こんな変な本は出版社から出せないだろう」という感覚の下、難しいというのが高井さんの率直な考えだったようです。

そんな折に、昔読んだ電子書籍の衝撃という本が思い出されます。

この中でどんな衝撃が語られているかというと、

第三に、有名作家か無名のアマチュアかという属性が剥ぎ取られ、本がフラット化していくこと。
第四に、電子ブックと読者が素晴らしい出会いの機会をもたらす新しいマッチングモデルが構築されてくること。

佐々木俊尚 電子書籍の衝撃 より

という、出版社という大きな組織を介さずとも流通できることによるモデルそのものの変遷でした。

この衝撃がそのままおカネの教室の電子書籍版へとつながっており、めでたくおカネの教室が高井さんの手の届く範囲から、そうでないところへ大きく飛び立っていくこととなります。

「商品にする」発想

ここからさらに話が飛びますが、Kindle版で6000冊(相当)の実績を上げた後、出版社へ企画を持ち込んでついに紙出版へと動くことになります。

ここで初めて高井さん一人でこの本のあり方をコントロールしていたところ、出版社の編集さんがついて「商品にする」活動がはじまります。

当初、高井さん自身が「それは、ない!」と強く反対したこととして、「4割削り」のくだりがあります。
当初案で380ページを超える読みだったところ、編集さんから240ページ程度、4割を削ったほうがよいとのアドバイスが届きます。
元々テイストや質を変えずに分量を落とせるのは1割程度だと考えていた高井さんは、当然これに強く反発しますが、ここで商品化への道案内を務める編集さんから次の反論が返ってきます。

  1. 「経済初心者」には400ページはハードルが高い
  2. 価格を1500~1600円にしたい(今のままでは1800円程度になる)

この意識の外からの反論を受け、高井さんは4割削りの肚を決めたそうです。

実際、この決断によって高井さん本人も「明らかにコンテンツとしての質が上がっていった」「結局、7年かけた作品への愛着が、執着心に繋がっていた」と感じており、結果的に「商品にする」ことは全てにおいて上手く働いたようです。

私が記事を書く際も、記事を長く書けば書くほど、「要するに何?」ということから短くまとめたほうがいいと感じることはありますが、やはり「せっかく書いたんだから」という気持ちで躊躇することがあります。
しかし、それは記事を初見する読者にとっては全く関係のないことで、読みやすいかどうかだけが必要なはずなんですよね。

こうした点からも、自分が書いている記事というものは商品にほど遠いものだなと改めて感じました。

タイトル変更?

最後は、出版を控えたタイミングでやりとりされた出版タイトルに関するものです。

家庭内連載から「無限論の教室」に着想を得た「おカネの教室」で通してきていたところ、これまた編集さんから「いわゆる金融入門みたいなイメージがどうしても湧いてしまう」とのことで、要検討だと告げられます。

タイトルは先ほどの4割削り以上に愛着があるところですので、再び高井さんは強く反対しますが、次のような返信があったとあります。

「おカネの教室」にご愛着があるのはもちろん、よーーーくわかるのですが、すこしそれは横において、書籍として何が最適か?を考えていきたい次第です。
もちろん、考えた末に『おカネの教室』が一番だ!となるのはOKなのです。
が、「いやこれ以外考えられない」ではなくって、この本が青春経済小説であるようなことがなんとなく伝わり、数多くあるお金本のなかで、抜け出すことができる、そして一番大切なのが、内容にぴったり似合うこと。
タイトルという服を着せてあげて、世に送り出すのが、本に対しても一番のエールだと思います。

Ⅲ-20. タイトル変更?ありえない! より

私はここにある「タイトルという服を着せてあげる」という表現がとても好きになりました。

私も日々Amazonなどで数多の本のタイトルをざっと見ていますが、この表現を見たとき、そこに並ぶタイトルたちは服を着ていたのだろうか?ピカピカに磨かれていたのだろうか?と思い返したことを覚えています。
何気なく流したタイトル1つ1つに、もしかしたらこれと同じだけの熱量が込められているのかも、と思うと、自分がこのブログで書く記事を含めてもっとタイトルを大事にしようという気持ちになりました。

まとめ

改めてこの本を振り返ると、ブログを書くことについて、とても刺激を受けていたことに気付きました。

この文章全体の中で自分が高井さんという人物と、その文章に魅力を感じていたこと、そしてその源が淡々と記される日本の新聞のような重厚な文章ではなく、軽快で感情豊かな文章にあったことは魅力あるブログ作りの参考にもなると感じます。

実際の執筆シーンからは、

  • 始めるモチベーション
  • 続けるモチベーション
  • 推敲のテクニック
  • 名付けの重要性

など、たくさん大事なことを教わったように思います。

改めて考えると、こうやってこの本を読んでいるのは本来の楽しみ方を大きく逸脱しているのではないかとも思いますが、個人的には非常に感じるところの多い一冊でした。

「おカネの教室」ができるまで: 兼業作家のデビュー奮闘記
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ちなみに、どうやらこの本はKindle Unlimitedで読めるばかりでなく、高井さん本人のnoteで公開されているようです。Webだと中々インパクトある長さですね。

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本編:おカネの教室 僕らがおかしなクラブで学んだ秘密

今回のこの「できるまで本」だけを読んでも当然わからない話が多いと思いますので、興味を持たれた方はぜひ本編である「おカネの教室」を読んでみることをオススメします。

この本の生まれとしては「娘に贈った」「子供向けに書き下ろした」というものではありますが、内容的には大人が読んでも大いに刺激を受けられる、むしろ大人が読んで自分の口から子供に読み聞かせるほうがいいと思えるほどよくできた本です。

書評はこちら。


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